世に名を残す天才と呼ばれた偉人たちがそうであったように、彼らは時に、凡人には理解し難い突飛な言動に出る。
 知能指数が二〇〇を超える小春もそのクチの人間で、理解に苦しむその言動に驚かされたり巻き込まれたりした経験は、二年と少しの短い付き合いながら決して少なくはない。
 特に今回の小春の行動は輪を掛けて理解し難く、わたしはその真意を探るべく、小春の動向をじっくりと観察した。

(…………わからん)

 しかし所詮は凡人と天才。わたしの視線に気付いてにこやかに手を振ってきた小春と、それに更に気付いて身振り大きく両手を振る一氏に軽く手を振り返して、わたしは観察を諦めた。
 蔵ノ介も言っていたことだが、こんな場所に部外者を、それもテニス部絡みでここ最近何かと噂になることが多かった人間を連れて来れば、過激な非公式団体を煽るだけだ。事実、たとえば視線に物理的な力があったとしたら、わたしは今頃蜂の巣になっている。
 それがわからないはずのない小春が一体何を目的とし、どうやって蔵ノ介を説得したのか。全く解せないが、わたしが頭を悩ませたところで解明できるとも思えん。

「あ、師匠や! 師匠おおおお!!」

 すると喧しい声と足音がして、直後に後方のフェンスがガシャンと大きな音を立てた。
 見るまでもなく声の主を確信させる呼称にそれでも振り返ると、思った通り。笑った時にできるえくぼが印象的な男子が、袴姿に運動靴という不恰好な出で立ちで立っていた。ついため息が出る。

「古賀、その呼び方は止めろと言っているだろう」
「せやけど師匠はオレら剣道部の師匠やし! ちゅーか師匠、その格好ごっつソソるんやけど。昼休みの水が滴る師匠も身体の線が出とってよかったけど、ぶかぶかのジャージ着とる師匠もええなぁ。オトコのロマンやな!」
「……毎度の事ながら、そういう返答し難い発言は控えてもらえないか」

 大体好きでこんな恰好をしている訳ではない。教室へ鞄を取りに行った際、改めて自分のジャージに着替え直そうとしたのを、ペナルティを盾した蔵ノ介に止められたのだ。
 しかし全く、運動部の方でわたしが所属する剣道部で部長兼主将を務める古賀は、関西地区最強の称号と共に全国でも五本の指に入る猛者なのだが。一方では人懐っこく気さくな言動の中に、今のような下世話な言動を混ぜるものだから、毎度毎度困ったものだ。
 顔を合わせると第一声からこの手の発言が飛び出す変態なのに、これで意外に女子に人気があるのだから不思議だ。

(やはり、眉目が整っているからか?)

 けれども古賀は、見た目で人を判断してはいけない良い例だろう。
 外見は兎も角、中身が残念な典型とも言える。

「ところで、そんな恰好で部活はどうした?」
「え、あ、ちょいと野暮用があってん。そ、それより一年の頃みたいにテニス部のファンクラブ連中から呼び出しされた時は、是非とも教えたってや」
「……何故だ?」
「そら勿論、陰で見学させてもらうからやん!」

 古賀の視線がほんの一瞬、わたしたちの会話に耳をそばたてている例の連中に向いた。
 ――― 直感、だった。

「古賀、お前まさか」
「いやあ、あん時たまたま見た師匠のファンクラブ滅多人斬りは、ほんまに鳥肌モンやったわ。確か師匠ってどっかの剣道場で免許皆伝の師範代やったよな? 柔道も段は持っとらんけど、黒帯の有段者に師事しとったんやろ? 無駄のない見事な立ち回りやったもんなぁ」
「……」
「あ、今度もあん時みたいに返り討ちにしたったら、連中もアホなこと止めるんとちゃうか? ほら、師匠って耳が早い新聞部の部長と懇意にしとるから、首謀者突き止めるのなんて簡単やろ? せや師匠! あんな連中いてこましてまえ!」

 こいつ、とんでもないことをさらっと言うのだな。しかしお陰で確信が持てた。
 わたしは古賀の誇張はないがどこか大袈裟に聞こえる話に固まっている非公式団体に目を向け、びくりと大きく震えた彼女たちに薄く笑ってみせた。すると面白いくらいさっと、彼女たちの顔から血の気が引く。

「……そうだな。わたしの悪評だけならいざ知らず、ファンを自称しながらテニス部を、一氏を、わたしの友を辱めた連中に、丁度腹が立っていたところだ。片を付けるにはいい機会かもしれんな。――― そうは思わんか?」

 如何にも愉快だという声音で最後に首を傾げてみせると、彼女たちは顔面蒼白で脱兎の如く逃げ出した。どれも部活動に対して不真面目な連中が日を問わず騒ぎ立てるばかりだったため、お陰で随分静かになる。
 そして逃げた彼女たちの姿が見えなくなるなり、古賀は正に抱腹絶倒した。
 フェンス越しでなかったら、思い切り頭を引っ叩いているところだ。本音は竹刀で叩きのめしたい、だが。

「しかし一年の頃のアレは売られた喧嘩を買った正当防衛だ。わたしに自分から喧嘩を売る趣味はない」
「くくっ、し、知っとるって。師匠は基本、腰重たい、もんなぁ。あはははっ!!」
「……笑っている暇があるなら、さっさと鍛錬に戻れ。野暮用とやらは済んだだろう」
「ありゃ、バレとった?」

 あんな態とらしい話題運びをされれば当然だ。小春も言っていた野暮用とは、恐らく古賀にこのことを頼みに行くことだったのだろう。
 ちらりとコートにいる小春に目を向ければ、多くのテニス部員がぽかんと間抜け面を晒している中、何故か一氏を背後から羽交い締めにしている小春に、にっこりと微笑まれた。だがこれで満足かと、いまいち納得がいかない解決方法に不満を込めて睨むと、その微笑は苦笑へと変わる。

「まあまあ、オレらかて師匠のこと心配やってん。いくら師匠が逞しい言うても、やっぱりオンナノコやし。そう怖い顔せんといてや」
「……手間を掛けたな。ありがとう」
「おう、どーいたしまして! ほなオレはそろそろ退散するわ。――― あ、師匠! 近い内こっちにも絶対顔出してや。オレもみんなも師匠が来るん待っとるし、次こそは師匠から一本取ったるかんな! 覚悟しとってや!」
「ああ、楽しみにしているよ」

 わたしは武道場の方へ走り去る古賀を見送り、ベンチに座り直した。そして直後、小春の拘束を脱した一氏に「ー!!!」と絶叫されながら体当たりの如く抱き付かれ、思わぬ圧迫感に襲われる。
 幸いベンチは地面に螺子で固定されていたため、ひっくり返ることはなかった。しかし一方では、その所為で勢いが殺されず、圧力が増すことになった。あまりに唐突且つ理不尽が過ぎる暴挙だ。

 この理由を、小春は「ちゃんがユウくんに ――― アタシらにとってごぉっつ嬉しいこと言うくれたから、感動したんよ」と後に教えてくれたが、一体何の話だ?
乗り掛かった船に乗る*100515