郷愁を覚える和の趣が漂う外観に反し、テニス部の部室の内装は西洋的だった。
 壁沿いにロッカーが並べられ、教室で使用されている物よりも年期が入った机と椅子があり、部屋の奥にはベンチが置かれ、その脇には練習メニューが書かれたホワイトボードと部誌などの資料が並ぶ戸棚。そして神棚のように天井近くに取り付けられた棚には、これまでの功績を讃える杯や楯が並んでいる。
 その他にも細々こまごまとしたものがあちらこちらに点在し、お世辞にも綺麗とは言い難い光景だ。

「……意外だな」
「何がや?」
「蔵ノ介が部長を務める部の部室ともなれば、自室のように不必要な物が一切ないのだと思っていた」
「あー、俺としては無駄なもんは全部処分してしまいたいねんけどな。部員が次から次にいろんなもん持ち込むもんやから、さっぱり追い付かへんのや」

 成る程。つまり捨てる作業より持ち込まれる動作の方が早く回っている訳か。
 それならこうも物が溜まるのは当然だろう。

 ところでそれはそれとして、わたし何故こんな場所にいるのだろう。
 何とも皮肉な理由で蔵ノ介と初めて帰宅を共にすることとなり、わざわざ部活を休もうとした蔵ノ介を止め、部活終了までの待ち時間を委員会の仕事をしながら潰そうとしたのを止められたのは、いろいろと頼りない有り様であることを思えば納得はできる。
 だが、それがどうしてテニス部の部室へ招かれることに繋がったのだろう。
 こういう場所は普通、部外者の立ち入りを禁じているものだろう。一部に過激な傾倒を見せる人間がいるテニス部関連ともなれば余計に。

「で、ユウジはいつまでに引っ付いとんのや? ええ加減に離れんかい」
「いやや、白石には関係あらへんやろ」
「ほっほー? ユウジはそないにメニュー倍にされたいんか?」
「ハッ! 倍でも三倍でも四倍でも、好きにしたらええ。そない脅しに屈する俺やあらへんわ!!」

 と、わたしを間に挟んだ状態で、右隣に立つ蔵ノ介と、放課後を告げる鐘と同時に保健室を追い出された後から、わたしの左腕に自分の腕を絡めて離れようとしない一氏の論争が始まった。迷惑極まりないことだ。
 そういえば、今更気にすることではないため意識していなかった一氏の行為だったが、こんなにも頑なになられては部室に招かれて仕方なかったのかもしれない。わたしがここへ来れば、一氏を部活に参加させられる可能性が上がるという訳か。

 成る程、納得してしまった。

「下らない争いなどするな。蔵ノ介は部長だろう、早く行け」
「せやせや! はよ行ってまえ!」
「一氏もだ。さっさと着替えて練習に参加して来い」
「ああ、その通りや。部長として、サボりの可能性を見過ごす訳にはあかんからな。俺は後から行くわ、ユウジは先行き」
「…………はぁ……」

 呆れた。わたしに言わせればどっちもどっち。五十歩百歩だ。

「アラ、二人共まだ着替えとらんの?」

 そこに野暮用があるから少し遅れると言って、鞄を取りに行った教室で別れた小春が現れた。
 少し前にもあった光景だと思いながら、論争を熾烈化させる二人に挟まれ続けているわたしは、またも小春に救いを求めて視線を送った。するとにっこり、何故だか嫌な予感がする満面の笑みを返される。

「何や知らんけど、ちゃんのことがそない気になるんやったら、コートまで来てもろたらええんやない? ちゃんが目の届く場所におってくれたら、二人共文句あらへんやろ?」
「アホ。コートになんか連れてったら、晒し者も同然やろ。フェンスの周り囲っとる連中をまた煽るだけやないか」
「それは大丈夫やで、蔵リン。あんな……」

 小春は蔵ノ介に何事か耳打ちし、蔵ノ介はそれに難しい顔で考え込むと、念を押すように「ほんまやろな?」と確認して、小春の肯定に「わかった」と答えた。
 ……それはわたしをコートに連れて行くという意味の肯定か?

「ユウくんも、ちゃんに練習見て欲しいやろ? 今まで何遍も誘ったちゅうのに、練習も試合も観に来てくれへんかったちゃんに、アタシらの実力見せたるチャンスやで。どや?」
「お、おう!! せやで! に俺らのお笑いテニスを見せたるわ!!」
「ほな、はよ着替えんと。とっくに練習始まっとるで」

 小春の説得に一氏は二つ返事で元気よく頷き、嘘のようにわたしからあっさり離れると、自分の場所らしいロッカーを開けてさっさと制服を脱ぎ始めた。
 それと同時にわたしは両肩を掴まれ、身体を反転させられる。

「俺も着替えるさかい、そっち向いて少し待っとき」
「? あ、ああ……」

 蔵ノ介に言われた通り壁と向かい合って布が擦れる音が止むのを待っていると、またも不意の浮遊感に襲われ、わたしは硬直した。浮遊感は先程と同様に、蔵ノ介に横抱きにされて訪れたものだった。
 一氏より遅く着替え始めたはずだが、もともと上は濡れた制服に代わって部活のジャージを着ていたため、蔵ノ介の方が早く着替え終わったらしい。しかし何故抱き上げられねばならん。

「白石!? 自分一度ならず二度までも何しとんねん!!?」
「コート内はローファーで入ったらあかんのやから、を連れてくには靴脱いでもらうか、抱えて行くかしかあらへんやろ。せやけど今のは靴脱いだら裸足になってまうやん。つまり、抱えてくしかないっちゅう訳や」
「せやったら俺が」
「小春、すまんけど俺のラケット持って来てくれへんか」
「ええで。ほら、ユウくんも早くしぃや」
「小春ぅぅううう!!?」

 言葉を遮られ、小春にまで無視された一氏の絶叫を背景に、蔵ノ介は外開きの扉を背中で押し開けた。
 テニスコートを囲うフェンスは小春が開けてくれて、人目を惹かないはずがない状態に嫌でも視線が集中する。フェンスの外側に貼り付く連中からは憎悪と嫉妬が突き刺さり、テニス部の部員たちは好奇に満ちているのだ。物凄く居心地悪い。

「あ、白石やー! 遅いで白石、はよ試合しようや!!」
「はいはい、金ちゃん。ストレッチが済んだら相手したるさかい、それまで師範とラリーでもしとってや。――― すまん師範、金ちゃんのことしばらく頼むわ」
「ああ、構わんで」

 フェンスの出入口から最も遠いコートで、豹柄の服を着た如何にも天真爛漫な少年がラケットを振り回しながら飛び跳ねる。恐らく一年生だろう。もしかしたらあれが、音に聞くテニス部のスーパールーキーとやらなのかもしれない。
 蔵ノ介は近くにいた上背がある綺麗な坊主頭の部員に声を掛けると、わたしをそっとベンチに下ろした。

「ほな、ここでしばらく待っとってや」
「……わかった」

 了承すると蔵ノ介は満足げに笑ってわたしの頭を撫で、小春からラケットを受け取り、一転して意気消沈している一氏の襟首を掴んで引き摺った。
 一氏はされるがままだ。あの調子では部活動に支障を来たし、怪我に繋がり兼ねない。

「一氏! 人を楽しませるために、まず必要なのは何だ?」

 仕方なしに少し声を張り上げてそう問えば、一氏ははっと顔を上げ、笑った。

「――― 自分が楽しむことや!」
「ならば、そんな時化しけた顔をするな。初めてお前らのテニスを見せてもらうんだ、退屈させてくれるなよ」
「任せときっ! 絶対にのこと抱腹絶倒させたるで!!」

 いや、それはテニスとして、運動競技としてどうなんだ? 成り立つのか?
 思えば先程言っていたお笑いテニスとやらも、突っ込みどころが満載だな。まさかの校風が、まさかのところにまで影響を及ぼしているのだろうか。

 理解し難いところが多々あれど、再びやる気が芽生えた一氏に一先ずはよしとする。蔵ノ介の手を解いて真っ先に柔軟へ向かう一氏を、わたしは苦笑に近い笑みで見送った。
総ては君に繋がってる*100514