一人娘のわたしを猫可愛がりする父は、どんな些細な出来事でも、事ある毎に写真を撮りたがる。 そのため、わたしの乳児期から その上より質の高い写真を残すためだと言って、父はカメラの性能が上がる度、頻繁に買い替えを行う。そしていつの頃からか、そのお古を御下がりで譲り受けるようになったわたしは、当然のようにカメラが、写真が好きになった。 気付けば趣味になっていたこれが講じ、わたしは文化部で所属する新聞部で、写真撮影のみを専門に担当している。 よってその活動は、校内新聞に必要な写真を撮影しに行く運動部の大会時期と、写真の販売が貴重な収入源となる文化祭などの行事に限られ、実働日数が少ない。だから部室へは滅多に行かないし、わたしに招集が掛かることもそうそうない。 だが今、わたしはその部室にいる。 仮にも部員なのだから何の問題もないはずだが、しかし今の時期に呼び出される覚えが、わたしには全くなかった。 部長と一対一で、現在進行形で向かい合っていることも、訳がわからない。 「……他の連中はまだ来ないのか?」 「呼んだんはさんだけやで」 「――― は?」 聊か居心地が悪くて苦し紛れに振った話題に、しかし思わぬ返答があった。 驚いてつい部長を凝視すると、部長はケラケラ笑い、左腕に嵌めている腕章を叩く。『新聞部』と明朝体の文字の刺繍が施されているそれは、新聞部が取材活動時に装着する決まりになっているものだ。 腕章を着けている。それ即ち取材中を意味すると同時に、四天宝寺の生徒には取材に協力する暗黙の了解が存在する。無論拒否権も存在するが、大阪人の気質なのか非常にノリのいい人間が多いため、断られたことは今のところ一度もない。 ――― 詰まる話、部長はわたしを取材したがっている、ということだ。 その理由を考えた時、思い当たるネタは不愉快にも一つしか浮かばなかった。 「ほな新聞部の部長としてさんに質問なんやけど、よろしーですか?」 「断る」 「そーですか、ありがとう ――― って、えええっ!? そこは二つ返事でOKするところやろ、自分ノリ悪いで!」 「拒否権があるのだから、どうするかはこちらの自由だろう」 「そーやけど、協力してくれたってえーやんか!」 「良かったら最初から断らない」 正確には、協力すること自体は嫌ではないのだが、ネタにしようとしている話題が問題だった。 誰が好き好んで、あのように不愉快な思いを再び味わうものか。 「ほ、ほな記事にはせーへんから、事実関係だけでも教えてくれへん? ジャーナリスト志望の人間としては、そこんとこが気にのうてしゃーないねん!」 「…………絶対だな?」 「モチロンや!!」 まあ然程深い付き合いはしていないが、一応一年の頃からの間柄だ。 仕方なく渋々ながら了承すると部長は表情を輝かせて、小型の録音機器を取り出した。……念のため、この話が終わったら目の前で録音を消去させよう。 「ほなさんにまず質問ですけど、今校内でさん絡みの噂があれこれ囁かれとるんは、ご存知ですか?」 「……存在なら。内容までは知らない」 「まあ、ウチもあちこち取材して、内容が一つやないっちゅーことがわかったんですけどね。大筋は大体一緒でしたわ」 「どうせ根も葉もない誇張ばかりだろう」 機器をマイクのように使って録音しながら、部長はチッチッとそれを指のように揺らした。 「そーでもないみたいなんよ。まず最初に流れとったんは、さんがあの男子テニス部の二年生レギュラー、財前光と付き合っとるっちゅー噂や。匿名希望やけど、二人が人気のないごみ捨て場近辺でいちゃついとったちゅー目撃者がおんねん」 それは恐らく目撃者ではなくて、あれに告白してフられた当事者だ。そしてその噂が生まれる発端になった人物でもある。 案の定、あの女子の特徴を挙げて訊ねると、部長は「え、知ってたん?」とあっさり吐いてくれた。口の軽いジャーナリスト志望者だな。いいのかそれで。その素直さが魅力と言えば魅力だが。 「まあ、その後に流れとったんは、あーんなことやこーんなことしとったって、大筋は変わらんでいろいろ追加されとるんやけど……さんやし、在り得へんやろ。あ、因みに大まかに言うとな ―――」 「いい、聞きたくない。どうせ根も葉もない事実無根の内容だ」 現状で既に胃の辺りがムカムカしているのに、そんな余計な情報まで聞けば、いろいろ限界を迎えるのが目に見えている。 部長は自分が集めた情報をあれこれ披露したいようだが、こんな不愉快極まりない話題で盛り上がって欲しくはない。当事者のわたしからすれば迷惑なだけだ。だからそんな不満げな顔をするな。流石に絆されんぞ。 「ちぇっ! ほな話を戻すけど、財前くんとは委員会が同じやし、仲がえーん?」 「全く。集会で顔を合わせる以上の関わりはない」 「せやけどさん、一氏くんや金色くんと仲えーし、そっち方面で何かあるんとちゃうん?」 「一切ない。そもそも噂を事実と前提にして、話を進めないでもらえるか? わたしはあれに体よく利用されただけで、噂はすべてが虚偽だ。先程言っていた目撃者の女子があれにフられて、腹癒せにわたしを貶め、辱めようとしているだけだ」 直後に、正しいと思って取ったこの行動を、わたしは後悔した。 本人が言う通りあちこち取材して回り、恐らくこの話題について一番情報を握っていると自負していたのであろう。わたしの口から発覚した事実と新たなネタに、部長は異常なまでの食い付きを見せた。 お陰で根掘り葉掘り聞き出そうとする部長に圧倒され、散々な目に遭った。勘弁してくれ。 「これは大スクープやで!!!」 「記事にはしない約束だぞ」 「――― あ。せ、せやけど男テニのファンクラブ対策に、この際バーンと記事にして打てる手は先に打っといた方がえーんとちゃう? 今はまだ平気かもしれんけど、いつ何をされるかわからへんで?」 「一理あることは認めるが、事前に約束した通りだ。覆すつもりはない」 部長は唇を尖らせたが、わたしの意思は変わらない。 大体、写真撮影専門の人間でも新聞部の人間なのだ。部長と同じこと考え、潔白を主張しようと考えなかった訳ではない。しかし思い付いたその時点で、そんな真似はしないとわたしは既に決めていた。 この問題の根底には、あの青二才が自ら気付かなければならないモノがある。 だからたとえこの身の潔白を証明できる方法があったとしても、わたしはあれを赦すことはできないし、今気付かなけばいずれ、あれは同じ過ちを繰り返す。 その代償でこちらが被害を被るのは聊か気に食わないが、仕方ない。今回は特別に甘んじよう。 唇を尖らせる部長に録音内容を目の前で消去させ、その気遣いは気持ちだけを頂戴し、わたしは新聞部の部室を後にした。 「あ、そーいえばもう一つ別の噂あったんやった。すっかり忘れてとったわ。……まあさんやし、構へんやろ」 わたしの退室後、部長がそんな不穏なことを呟いていたとは、知る由もなく。 かごめからの景色*100404
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