「小春先輩」

 ラリー練習を終えた後の休憩中。汗を拭う小春に、コート空きの順番待ちをしている財前が声を掛けて来た。
 日頃は自分たちから絡むばかりのため、財前からのこのアクションに小春は少なからず驚いた。そして驚きに勝る嬉しさに疲れを忘れて高揚し、そのテンションのまま応えようとして、しかし寸前で思い止まる。財前が周囲を気にしてして視線を動かしていることに気付いたからだ。
 小春もまた辺りを見回し、そう離れていないところで後輩に指示を出す白石の姿があったので、声を潜める。

「どないしたん?」
「その……、先輩とユウジ先輩て、仲良いんすか?」
ちゃんとユウくん?」

 財前の様子からして余程言い難いことなのだろうとは予測していたが、その口から出たのは思わぬ名前で、虚を衝かれた小春の声量はつい元に戻った。
 慌てて口を押さえてもう一度辺りを見回すと、恐らく聞こえたのだろう。白石と目が合ったが、小春は愛想笑いで誤魔化し、財前の背中を押してコートの隅へと場所を移した。
 念の為周囲を確認してから、改めて財前と向き合う。

「えっと、何で急にそないなこと訊いて来たんか、まず聞いてもええか?」
「……今日の昼休みに ―――」

 財前の話によると、今日の昼休み、財前は図書委員会の当番で図書室にいたのだそうだ。
 そこへ一氏とが連れ立って現れ、二人は軽口を交わしてじゃれ合い、怠慢な司書を共に弄り倒したのだと言う。
 この話に、小春はいつの間にか習慣化している三人での昼食を終えた後、今回もまた司書に仕事を押し付けられたと、それを手伝う一氏をいつも通り見送ったこと。司書の怠慢に諦観しつつも、鬱憤が溜まっている。あの司書を心底嫌い、顔を合わせた後はいつも小春に愚痴を吐き出す一氏。様々なことを思い出した。

「ユウジ先輩、小春先輩とおる時とはまた別な感じでキモいし、あの人はそれが当たり前みたいな態度やし。俺のこと興味ないっちゅう顔で無視しとった癖に、最後には委員会活動ご苦労とか労うし……、訳がわからへん」
「うーん……ユウくんにとって、ちゃんはいろんな意味で特別やからねぇ。アタシとはまた別枠やから、そら違って当然やわ」

 一氏本人にどこまで自覚があるかはわからないが、一番近くで一氏を見ている小春からすれば、一氏の小春とに対する態度は面白いくらい違う。
 単に小春に対する好意の表現が激し過ぎるだけで、一氏にとっての本当の特別は目にも明らかなのだから。

「それに誤解しとるようやけど、ちゃんはほんまごっつええ子なんよ?」
「……どこがすか?」
「せやなぁ、例えば図書委員会の当番。光みたいに放課後は部活を頑張っとるっちゅう子は全員、昼休みの当番しかないんやけど、気付いとった?」

 そう言われて当番順を決めた最初の集会のことを思い出そうとした財前だったが、あの時自分はぼうっと話半分にしか聞いていなかったし、自分の当番日以外などは全く気に止めていなかったので、さっぱりわからなかった。
 しかし軽い自己紹介をさせられて、何故か所属している部活と活動状態、部活に対する意欲を言わされた覚えはあった。

「あれな、一年生の頃に最初の集会でちゃんが「如何なる部活動も上を目指すからには練習あるのみ。ならば放課後の限られた時間は向上心ある者へ優先的に与えられるべきだ」言うて、提案したからなんよ。そんで自分は活動日数少ないから、放課後の当番やる言うてなぁ」

 確かにの所属する部活は、彼女に限りその活動が訳あって少ない。
 意図したものではない偶然だが、このため以外の委員はそのほとんどが昼休みの当番を行い、放課後の当番はが連日一人で行っているのだ。挙句そんな人間性をあの怠慢な司書に気に入られ、体よく使われているのである。

ちゃんはそれを偽善とか自己満足、自己陶酔やのうて当然と思ってやっとるんやから、ほんまに尊敬するわ」

 ほうっとため息する小春だが、数日前にそのから強烈な一撃を脳天に食らった上、辛辣な言葉をぶつけられた財前には、そちらの印象の方が強過ぎた。
 あの日のことを省みて自分の行動に非があったことは認めるが、やはりあそこまでボロクソに言われる筋合いはないと、思い出したら段々また腹が立ってくる。

 ――― ふと、頭に何かが乗った。小春の手だ。

「別に今すぐ無理に理解しようとせんでも、今はただ知っとってくれたらそれでええんよ。いずれわかるようになるさかい」
「……何すか、それ。訳わかりませんわ」
「せやねぇ、光がもうちょっと周りに関心持つようなったら、ひょっとするかもしれへんなぁ」

 一歳も違わないのに随分子供扱いされているが、不思議と素直に聞き入れることができてしまって、財前は押し黙った。
 それにここで反論すれば、余計に子供扱いされるだけだろう。浪速のニュートンと謳われるほど優れた知能を持つ小春からすれば、どの道自分は年齢差よりも幼く見られているのかもしれないが。

「光うううう!! 人がラリーしとる間に小春と何いちゃついとんのや!? 死なすど!!?」
「イヤ〜ン! ユウくんたら、アタシにはユウくんだ・け・よ!」
「こ、小春っ!! 俺もやでー!!!」
「……先輩ら、キモいっすわ」

 一氏の闖入で始まったいつものやり取りと目の前で交わされる熱い抱擁に、財前は逃げるようにしてコートに入った。
 小春に優しく撫でられた頭を、ワックスで整えている髪型が乱れるのも構わずに、ぐしゃぐしゃと掻きながら。
閑話:内と外の違い*100403